4.  

  

 

       朝、鳥の鳴く声で目を覚ますと、既にコナンの姿はなかった。

        一瞬、夢だったかと期待したが、一番最初に目に入った白い毛皮に包まれた手が、夢ではなかったということを何よりも

       証明していて。

        キッドは深く、深くため息をつく。

         (―――まさか、一生このままってことはねえだろうな・・・)

        不吉すぎる考えが脳裏をよぎってしまい、慌てて振り払う。まだ事実は何もわからないのに、最初っから最悪の事態を想定

       することはない。          

        (さて・・・これからどうするか)

        とりあえずは、寺井になんとか連絡を取るしかないだろう。

        けれど、今の自分は人の言葉すら話せないのだから、果たして寺井が自分をキッドだと信じてくれるかどうか。

        甚だ疑問ではあったが・・・しかし他には頼るところが無いのだから仕方が無い。

 

        そんなことを考えながら、トコトコと昨日入った玄関に向かって歩いていくと、ちょうどコナンが入り口のドアを開けて、家に

       入ってくるところだった。

       「お、居たな」

        コナンはキッドを見ると、邪気の無い柔らかな笑みで笑った。

        それにキッドはどきりとする。

        この子供がお芝居じゃなく、こんな表情が出来るなんて、知らなかった。

       「メシ持ってきたから、とりあえず食えよ・・・博士ん家から持ってきたから、こんなのしかなかったケド」

        そういってコナンが取り出したのは、コンビニなどでも良く売っている、市販のメロンパンだった。それにキッドは心底

       ほっとする。

        キャットフードなどを出されたとしても、とても口を付ける気にはなれなかっただろうから。

        コナンはメロンパンを袋から取り出すと二つに割り、ひとつをキッドの前に置き、自らはもうひとつにかぶりついた。

        キッドも、床に置かれたものを食すという行為に抵抗はあったものの、空腹であったのも確かだったので、床に面して

       いない上側ならば良いだろうと、メロンパンをかじった。

        どうやら猫の身体に変わっても味覚は変わっていなかったらしく、甘い味が舌一杯に広がると、身体がほっと息をつくのが

       わかった。

       (こいつ(探偵)に助けられるなんて、な・・)

        当人は知らないことだとはいえ皮肉なものだと思いながら、続けて2口、3口とメロンパンをかじっていると、コナンは

       いつの間にか食べ終わったのか、パンパンと手を払って立ち上がって言った。

 

       「食い終わったら行きな。入り口は開けておいてやるし・・」

        この家はどうやら、昔ペットを飼っていたことがあったらしい。コナンが指し示す方向に視線をやると、入り口のドアの下の

       ほうに、昨日は気づかなかった小さなペット用の押し戸がついていることに気がついた。

        コナンはそこの鍵をはずしていった。

 

       「・・・ノラはノラのままのほうが、幸せだろうしな」

   

        ―――自由なままのほうが・・・。

        そう言われたような気がして、キッドは何故か胸がチクリと痛むのを感じた。

 

  

  

                                            *************

 

 

        キッドは床に頭をつけたまま、ただ街の音を聞いていた。

        コナンはあの後、学校に行ったのだろう。まだ帰ってくる様子はない。

        けれどぼんやりと入り口に向けられた視線が、コナンが鍵を開けていった、小さなペット用の扉を捕らえていた。 

        立ち上がってあの扉の側へ行かなくては。

        この家を出て、寺井のところへ行かなくては。

        学校や母親などはうまくごまかしてくれているだろうが、きっとひどく心配している。

        ―――そう思うのに。   

        なのに何故か・・・身体を起こそうという気にはならない。 

        否、正確にいえば、この家から出て行く気にならないというべきだろう。  

       (・・・どうしちまったんだ、俺は・・・)

        キッドは心の中で自問自答する。

        繰り返し思い出すのは、昨日から今日までの間に知った、コナンの初めての表情(かお)ばかりだ。

       (・・・どうかしてる)

        入り口のドアを重そうに開けて出て行った小さな後姿が、目をつぶっていてさえ思い出されて、知らずため息が

       漏れてしまう。

        小さな身体に、大人顔負けの頭脳と、めいっぱいの謎を詰め込んだ、不思議な存在。

        謎は謎のままで良い―――そう思っていた。

        昨日までは・・・確かに。

        なのに今は、いつの間にか捜してる。

        答えを知りたいと、思ってしまっている。    

        あの子供の正体を、ではない。

        小さな名探偵が―――あんなにも苦しそうな顔をしている理由を。

  

        (―――ホント・・・どうかしてる)

  

        キッドは自嘲交じりの笑いをもらすと、ただの猫のように組んだ前足の上にあごを置いた。しかし視線は彼の本心を表すか

       のように、あの探偵が出て行ったドアに固定されたままだった。     

 

 

 

         それからどのくらい経った頃だろう?

         ガチャガチャというノブを回す音に、はっとなって顔を上げると、ちょうどコナンが玄関から入ってくるところだった。

         キッドはいつの間にか眠っていたらしい。

         辺りはもう薄暗くなっており、あれからさらに数時間は経っていることがわかった。

         小さな探偵は学校の帰り道に、直接ここによったのだろう。ランドセルを背負う姿は、その可愛らしい外見と合いあまって

        大変微笑ましくはあったが、ランドセルがどうにも身体の数倍は大きく見えて、重くはないのかとか、そんな余計なことが

        気になった。

         「あれ?・・・まだ出て行っていなかったのか?」

         キッドに気づいたコナンは、そう漏らした。

         口調はそっけないものだったが、表情が完全にそれを裏切っていて、キッドはまた胸が痛くなるのを感じた。

         この探偵に関して知っていることはまだまだ少ないが、昨日今日で何となく理解したこともあった。

         それは―――この子供がひどく孤独だ・・ということだ。

         だからこそ、この家を去り難い・・・なんて考えてしまうのだろうかとキッドは思った。

         それが自身に対する言い訳に過ぎないことは、薄々感づいていたが。

   

         「―――『おめえも』・・・行くとこがねえのか?」

  

         けれど、次に頭を撫でながらコナンがつぶやいた言葉は、キッドの推測に過ぎなかったものを完全に肯定していて。

         だからこそ、ひどく柔らかなその瞳に、キッドは不意に叫びだしたい様な衝動に駆られた。 

         そんな眼をしないで欲しい。

         自分に見せていたような―――生意気で勝気な瞳で居て欲しい。

         さもないと、とんでもなく愚かなことを望んでしまいそうだと思った。

         『怪盗』である自分には、決して許されないことを・・・。

         

         「・・・行くとこがねえんだったら、しばらくここに居ろよ・・・『あいつら』の目があるから、あんましひんぱんには来られねえ

        けど、餌ぐらいなら運んでやるし」

  

         抱き上げてきた手に、覗き込んで来た大きな瞳にたまらなくなって、キッドは衝動的に、目の前にあったコナンの頬に

        口付けていた。

         どうしてそんなことをしたのか、自分でも理解できなかった。

         ただ―――「ここに居ろ」と言ったときの切なげな瞳の色が、どうにも痛々しくて。

         そんな目をさせていたくない・・・そう思ったのだ。

         もっともそれで相手は子供で、頬へだとはいえ同じ男にキスをするのは、何だか激しく間違っているような気がしたが・・・

        それでも今のキッドは人間ではなかったから、コナンにしてみれば特に問題はなかったようだった。

         「くすぐったいだろ」と笑ったコナンの瞳には、すでに先ほどまでの痛々しい色は消えていた。

         キッドは自分の行動理由の追求はとりあえず置いておいて、そのことにほっと息をついた。

         仕事のときに挑まれるのなら怯むことなく全力で相手をすると断言できるが、あんな顔をされては―――増してやその相手が、

        この好敵手の小さな探偵だというなら―――どうして良いのかわからなくなる。        

         「・・・しばらく居るんなら、名前がいるな・・・ううんと、」

         キッドの内心も知らず考え込むコナンは、今度は謎に挑んでいるときほどではないが、それによく似た、楽しげな瞳をしていた。

         目の前のそれに、キッドは目を惹き付けられる。

         キラキラした輝きを放っている青い瞳は、自らが盗んでくる宝石などよりも、よほど綺麗だと思った。

         味気ない無機物なんかとは違う、本物の輝き(宝石)。

          

         「―――キッド!」

   

         ギクリ、とした。

         まさか自分の正体がばれたのかと一瞬思ったが、すぐにそれは勘違いであったことがわかった。

         「うん、キッドが良いや・・・真っ白だし」

         硬直した背中からは、その言葉であっさりと力が抜けたが、あまりのことに跳ね上がった動悸は中々治まらない。

         そんなキッドの動揺も知らず、覗き込んできた瞳が、いたずらな色を浮かべて言った。

         「・・・それに、おまえってアイツにどっか似てるよな・・・瞳の色とか、」

         どうしてるのかな・・・などと、懐かしいとすら思える口調で漏らすコナンに、キッドは今度は別の意味で動悸が高鳴るのを感じた。

         自分のことをそんな柔らかな表情で思い出してくれるなんて、思いもしなかった。                

         多分、嫌われてはいないだろうとは思っていたが、でも好かれてもいないだろうと思っていた。

         だって彼は探偵で、自分は怪盗で・・・決して相容れるはずがないのだから。

         なのに。

        (・・・本当に・・・どうしようか・・・)

         こんなの間違ってるってわかっている。

         この子供は自分(キッド)にとって、油断したら引導を渡すその相手になるかもしれない、危険を秘めた存在だと。

         なのに嬉しい。

         そんな風に言われたら・・・嬉しくて、嬉しくて。

         どうしようもなくなってしまう。

  

         「よろしくな、キッド・・・」

 

         だからキッドは、撫でてくるコナンの手に目を閉じて、普通の子猫のように顔を擦り付けた。

         この気持ちが、危険だということはわかっていた。

         でもせめて―――今だけでも、敵でも味方でもなく、ただこの子供の側に居たいと思ったから・・・。

 

 

                                       つづく


         長々とお待たせしましたが、「きみの鎖につながれる幸せ」第4話アップです。読みたいと言ってくださった方、ありがとうございました。

         やっとこの辺まで来たな〜って感じです。というか、実はこの回まではすでに書いてあったので、それを何割か改訂しただけ(苦笑)

         でもそのほうが実は時間がかかったりするんですよね・・・つじつまを合わせるのが大変で。でも書き下ろしはそれはそれで、時間が

         かかるのですが(笑)

         次回からはクライマックスに入っていきますので、話がぐぐぐ〜っと動きます。

         出来れば今年のコナン映画が出た後に、一挙書きしたいなあ・・・なんてもくろんでおりますが(どうなることやら)

                                                                            H20.2.24

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