その子供を見た瞬間、キッドはあまりのことにしばし、愕然となった。
思えば今日は本当に、ロクなことが無い。
いつもどおりハンググライダーで、颯爽と空から逃げる予定だったのに、『雲ひとつ無い晴天』と言っていた天気予報は、
大はずれの荒れ模様。
おかげであまり高くは飛べなくなったところに、狙い済ましたようにパンドラをめぐって争っている、組織の連中に見つかり。
発砲されて墜落。
捕まった上、変な毒薬を飲まされて―――それが原因で人外の生き物になるという荒唐無稽な出来事に、強制的に
遭遇させられている真っ最中だ。
その上、さらにこの再会とは・・・。
(これが全て偶然だとしたら、俺はよほど、神サマとやらに疎まれていると見える・・・)
2.
「よお・・・おめえも雨宿りか?」
話しかけてきた声は、その愛らしい姿形に似合わぬ、大人びたものだった。
そう、かつて自分と対峙したときのような・・・。
よもや返事を求めているわけではなかったろうが・・・キッドは内心ギクリとし、身体を硬直させた。
相手はただの子供ではない。
大人顔負けの推理力と行動力を有し、キッドですら油断していたとはいえ、一度追い詰められかけた相手なのだ。
(用心に越したことはない、か・・・)
いくらこの子供が聡くても、自分の正体に気づくことなど、ありえないとは思うが―――万が一、ということもある。
何せこの子供はかつて自分の変装を見抜き、誰もわからなかった怪盗キッドの手口を、鮮やかに暴いて見せた
のだから。
キッドがわずかな緊張と共に油断なく様子を探っていると、コナンは半ズボンのポケットに手を突っ込み、そこから
何かを取り出した。
どうやらそれは、この家の鍵のようだった。
するとここは、この子供の家なのだろうか?
(・・?・・・いや、だが・・・)
キッドはコナンが探偵の毛利小五郎の事務所に、居候していることを、知っていた。
いぶかしむキッドを他所に、コナンは慣れた手つきでそれを鍵穴に差し込み、回した。
カチャ。
小さな音を立てて、扉が開く。
そのまますぐに中に入るのかと思いきや、コナンは振り向き、キッドの前にしゃがみこんだ。
「お前も来いよ。ずぶぬれだぞ?・・・拭いてやる」
そう言って差し伸べられた小さな手に、キッドはわずかに戸惑った。
キッドは内心、目の前の子供に興味が無いわけではなかったが、何せ相手は『探偵』、自分は『怪盗』なのだ。
それ以前に今の自分は、『怪盗』どころか『人間』ですらない。
怪盗キッドがドジを踏んだ末、怪しい薬を飲まされて・・・その上、猫になっちゃいました―――なんてマヌケな話。
相手が『探偵』で自分が『怪盗』であることを、割りひいて考えたとしても。
(知られたくない、かも・・・)
他の誰に知られても、目の前の『探偵』にだけは知られたくなかった。
そんな考えに、頭を埋め尽くされていたためだろうか―――キッドは普段では考えられないような、ミスをした。
「つっ!」
気がついたのは、コナンが思わず声をあげ、手を引っ込めたときだ。
軽く押しのけるだけのつもりだったのだが、キッドは今の自分がどんな状態であるのかを、すっかりと忘れ去っていた。
手(この場合前足というべきか)についていた今までの数倍は鋭いであろう爪が、コナンの手を引っ掛けてしまったらしい。
「ってえなあ・・・・・・ったく、おびえてんのか?」
「何もしねえよ」と口を尖らせるコナンに、キッドは思わず罪悪感を覚える。
もともと『人を傷つけない』ことをモットーにしている怪盗なのだ。増して、コナンが好意から手を差し伸べてくれたのは、
明らかであった。
柔らかそうな指先に、真っ赤な血がにじんでいるのが見えて、キッドはわずかに動揺した。
けれど今のキッドには、何も出来ない。
「すまない」と謝ることも、手を取って、撫でさすってやることも・・・。
しかしコナンは、引っかかれたくらいなんでも無いと思ったのか、めげずにキッドに話しかけてきた。
「俺が怖いか?・・・でもさ、今日は雨、もう止みそうに無いし、このままでいると、おまえも風邪を引いちゃうだろ?」
コナンはまるで、猫が自分の言葉を解しているとでもいうように、真っ直ぐにキッドを見て、話しかけ続ける。
自分だって薄着の上に、カサを差さずにここまで来たのか、雨に濡れて髪の毛が、額にペタンとくっついているくせに・・。
(まったく―――お人好しにもほどがある)
キッドは思わず、心の中でぼやいた。
こんな恩知らずな子猫一匹、風邪を引くのを見捨てたところで、誰が責めるわけでも無いだろうに・・。
なのにこの真っ直ぐな目をした探偵は、自分(キッド)がいっしょじゃなければ中には入らないとでもいうように、目の前に
しゃがみこんで、立ち上がろうともしないのだ。
(こんなお人好しで、大丈夫なんだろうか?)
ふと思う。
今の世の中、自分のようにどんなずるがしこい、悪い人間が、潜んでいるかわからないのに・・・。
そこまで考えて、キッドは苦笑した。
探偵である彼のことを心配するだなんて、自分もけっこうなお人好しかもしれない。
「な、来いよ・・・腹が減ってれば、何か食わせてもやれるぜ?」
小さな探偵の中では、キッドを家の中に連れて行って、身体を拭いてやるというのは、すでに決定事項らしかった。
再び伸びてきたコナンの手にキッドは、今度はやれやれといったように、身を任せた。
危険なことは百も承知だった。
相手は探偵で―――それも自分が知る限り、最高に頭が切れる相手なのだ。
それでもこのままで行くと、自分も探偵も、風邪を引いてしまうのは確かだったし・・・。
何より。
(もっとこいつのことを知りたいって―――そう思っちまったもんなあ)
この誘惑を撥ね退けることは、どうやら我がままな怪盗には、もう無理なようだった。
キッドはその日、探偵の小さな腕に抱き上げられ、見知らぬ家のドアをくぐった。
つづく
てなわけで、2年ぶりか?(汗)で、『キミの鎖につながれる幸せ』の第2話をお贈りしました。
書いててわかったけど、3話構成じゃ無理だな、この話・・・(笑)
長さ的にはそんなもんなんだけど、わかりやすく(かつ面白く)展開するため、話を分けたほうが良さそうなので。
てなわけで多分、一話の長さはこんなもんで、全5話ぐらいになると思います。
この機会を逃すともう書けなそうなので、なんとか早いうちに最後まで書いちゃいたいと思いますが。
H18.10.22