契約

  

  

そこは、見晴らしの良い公園のベンチだった。
昼間ならば、子供たちやそれに付き添う親の話し声でにぎやかになるその場所も、今は夕暮れ時ということもあり、人もまばらとなっている。
ジョセフはその場所から見える、水平線にいっぱいに広がる夕日に見とれながら、携帯電話を手に取った。
コールすると、相手は思ったよりも早く電話に出た。
最近は学生業以外の、ジョセフがかつて請け負っていた財団の仕事も兼業するようになったジョセフの孫は、思った通りの不機嫌そうな声音で電話口に出た。
もっとも反抗期真っただ中に起こった事件のせいで、大人にならざるを得なかった彼は、以前よりはずっと、ジョセフに対してもあたりが柔らかくはなったが。

「おお、承太郎…今良いか?うん、いや、特に用があったわけじゃない。ただ久しぶりに声が聞きたくなってな」
『…てめえ、今、どこにいやがる?』
「うん?シチリアだよ…ホリイから聞いてないか?三日前から仕事で来ていてな」
『聞いた』

そうは返ってきたが、承太郎の声音は不機嫌そのもので。
ジョセフはしばし、その理由を考えねばならなかった。
何か承太郎の用事の邪魔をしてしまっただろうか?とも考えたが、それならそれで最初に「今良いか?」と尋ねたときに、その旨を述べて電話を切っているだろう。
では…と考えて、そういえばシチリアと日本では、数時間の時差があったと思い至る。
こちらはもうすぐ黄昏時という言葉が似合う時間帯だが、日本では恐らく真夜中だろう。
これでは承太郎が不機嫌になっても仕方がない。

「ああ、そちらは今、真夜中じゃったな…すまんかった。時差を忘れていた」
『いや、起きてたから構わない』
言葉は少ないながらも否定の言葉が返ってきて、ジョセフは首をひねった。それではますます、孫の不機嫌の理由がわからない。
しかし時間もなかったため、ジョセフはとりあえず会話を優先することにした。

「元気か?勉強はちゃんとしとるか?…あまりホリイを困らせてはいかんぞ」
『…そんなことを言うために、わざわざ電話しやがったのか?』
「ワシはおまえの祖父だからの…うるさく思われても、毎回言うわい。なぁんて、これはついでじゃよ…ただベンチに座って夕焼けをみとったら、あんまり綺麗じゃったから。おまえにも見せたくなっただけじゃ」
『…なら直接そういえば、良いじゃねえか』
「…?…スカイプにでも…」

しろということか?―――そう問おうとした言葉は、そのまま宙に溶けて消えた。
何故ならジョセフが顔をあげた先に、たった今電話で話していたはずの、はるか離れた国にいるはずの孫が立っていたからだ。

   

**********

   

唖然として真っ白になった頭の片隅に、そういえば自分は先ほど電話をかけるときに、国際番号の入力を忘れたと思い出す。
それでも電話が通じたのは、相手も同じ国にいたからだ。

(…でも何故?)

トレードマークである紺の長い学ランと帽子をまとった承太郎が、ゆっくりと近づいてくる。
その間に正気に戻ったジョセフは、年のせいでいささか鈍くはなったが、まだまだ人並み以上の頭脳をフル回転させる。
承太郎がこの地にいる理由を、なんとか最優先で絞りだそうとしたのだ。
しかしロクな答えも出ぬままに、承太郎はジョセフの隣までやってきてしまって、ベンチに腰掛け「ああ、確かに綺麗だな」と夕日を見て笑う。
その笑顔は彼にしては柔らかく、身内や心を許した友人にしか見せないものだ。ジョセフにとっては決して見慣れないものでもなかったが。
それでも今、このシチュエーションには、それがあまりに不似合いだった。

「…なぜここにおるんじゃ?」
「居ちゃいけねえのか?」
「いや、そうではないが…」

ジョセフはそう濁したが、内心焦りと困惑でいっぱいだった。
もうすぐ「約束の時間」が来る。それはすでに定められていたことで、その場に誰かを、まして承太郎を立ちあわせることなど出来ない。
だが、承太郎がこの場に現れたということは、もしや「あのこと」を知られたということだろうか?
ならばもしや、自分がこの場にいる「理由」すらも、彼は知っているのでは…と考えたら、にわかに背筋が寒くなった。
けれど、そんなジョセフを知ってか知らずか、承太郎はゆったりとジョセフの隣に腰掛け、今まさに水平線に消えようとしている夕日を共に眺めている。
ともかく彼を移動させようと、ジョセフは決断した。
「そろそろ寒くなってきたし、わしはホテルに帰るよ。おまえは…」
どこのホテルに泊まっておるんじゃ?という問いかけは、承太郎の夕日を向いたままの「そうしたほうが良い」というつぶやきにかき消された。

「てめえの待ち人は、もう一生来ねえだろうからな」

「っっ!?」
ジョセフは承太郎に何を言われても、ポーカーフェイスを装うつもりだったが、出来なかった。
何故なら今の言葉は承太郎に、ジョセフがここにいた理由もその目的も、すべてが知られてしまっていることを意味していたからだ。
あからさまに狼狽して動けなくなったジョセフに、承太郎が視線を向けてくる。
それは、今まで一度として向けられたことのない、刺すような視線だった。

「じじい、随分と俺を見くびってくれたじゃねえか―――てめえの考えなんぞ、俺が見抜けないとでも思ったか?」

そんなわけはないと思ったが、ジョセフは口には出せなかった。
承太郎への電話を「最後」にしたのは、この孫が誰より優秀で、察しが良いことがわかっていたからだ。
ジョセフは駆け引きには自信があったが、この孫相手では、それが成功する可能性は五分に等しい。まして全盛期の自分ならともかく、今の自分は肉体的にも、精神的にも衰えてる。
だから例え承太郎が自分の思惑に勘付いたとしても、もやは手が出せないくらいに離れた場所から、わざわざ「最後の電話」をしたのに。
なのに。

「…殺したのか?」
「ああ、『スタンドによる殺し』で生計を立ててた下種なんかに、容赦してやる必要はないだろ?増してあいつはじじいを狙ったんだ―――後腐れのないように始末しておいたほうが良いだろ」

その言葉にジョセフは言いようのない罪悪感を覚えた。
この「仕事」を任せる「殺し屋」を探すとき、ジョセフは仕事に定評はあるが、出来るだけ悪名が高い男を選んだ。
それは万が一、自分が殺されたと知ったときに、承太郎や友人が「復讐」に走る可能性を考慮に入れてのことだった。
これがくだらない感傷であることはわかっている。どの道、仕事を終えた後だとしても、殺し屋は殺されることとなったのかもしれないし、そのために自分は悪名高く、殺されても罪悪感の少ない殺し屋をわざわざ選んだのだから。
しかし敏くて優秀な自慢の孫は、殺し屋が依頼通りに「自分」を殺す前に、先回りしてその殺し屋を始末してしまったらしい。
これでジョセフは完全に、逃げ道をふさがれたことになる。
最後の「希望」も。
ジョセフは深くため息をついた。

「…一部の遺伝子に変化が見られたそうだな」
「口止めをしておいたんだがな…聞いたのか?」
「ツメが甘えんだよ、てめえは―――今や財団は俺の協力無しで調査はできない。その俺に依頼されて情報提供を拒むなんて、出来るわけないぜ」

「依頼」なんて言っているが、実際は「脅した」のだろうな…とジョセフにはわかっていたが、苦笑するしかできなかった。
それほど大切に思われているのが今更ながらに嬉しくも、ひどく切なかった。

「それにてめえ少し前に渡仏して、ポルナレフに会いに行っただろう?突然会いに来たって、奴も訝しんでたぜ―――それだけ怪しい行動をとっておいて、俺に気づかれないと思うのなら、随分と見くびってくれたってもんだ」
「…見くびってなぞおらんよ。むしろ誰より、お前のことは評価してるとも。だが今回ばかりは、騙されていて欲しかった」
「それでてめえは俺の知らない場所で勝手に死ぬってか―――ふざけんなっっ!!!」

承太郎はそう叫ぶと、ジョセフの襟元を両手でつかみあげた。間近に寄せられた切れ長の瞳が、激情と怒りに燃えているのがわかった。
それを美しいと思いながらも、ジョセフはやるせない思いと失望を隠せなかった。
承太郎の気持ちは嬉しい。
けれどもう遅い―――遅いのだ。

   

**********

   

変化が始まったのは、数か月前だった。
前兆は表皮のやけど。
確かに真夏の太陽光の下を日焼止めも無しに歩けば、それなりに皮膚が焼ける。敏感なものは皮がむけたりすることもある。
しかし白い肌の人種でありながら、意外に肌が強く、旅慣れてるジョセフは、今まで日焼け止めのお世話になったことなどついぞなかった。
しかしその日ジョセフは、いきなり太陽にさらされた部分が真っ赤に腫れあがり、低温やけどのようになったのだ。そんなことは今までの人生で、なかったことだ。
年をくって体質が変わったのかとも思ったが、変化はそれだけではなかった。
昼間は動作や思考が緩慢となり、あくびが絶えなくなった。暗闇でやたらに目が効くようになり、気配に人一倍敏感になった。
それらの理由を推測するのは、それほど難しいことではなかった。

SPW財団に調べてもらったところ、遺伝子の一部が、謎の変貌を遂げていると聞いた。
明らかに自らの命を取り留めるために輸血されたという、吸血鬼に変貌していたDIOの血の影響だろう。
遺伝子の変化は、この一部分だけでとどまらないだろうというのが、研究員たちの予測だった。
それを聞いたときにジョセフは決めた。
自分の最後は自分で選ぶ。
誰にも邪魔はさせない、と。

(…わしはもう少ししたら、おそらく完全に人外の生き物へと『変貌』するだろう)

今はまだ水平線に沈む太陽を見つめてもまぶしく感じるだけで済んでいるが、いずれそれを見ることすら完全にかなわなくなる。
否、それだけではない。
妻であるスージーQや娘であるホリイ、大事な孫である承太郎のことすらわからなくなるかもしれない。
それどころか、望んで傷つけようとするかもしれない。
そんなことは耐えられない。
なにより、そんなふうになった自分を殺せるとしたら、孫の承太郎しか考えられないのだ。
彼にそれが成せないとは思わないが、そのことで彼はどれだけの傷をわが身と心に負うのだろう。
自分のせいで、承太郎にそんなことをさせるわけにはいかない―――そう思った。

だから自ら消えようとした。けれど「自殺」はできなかった。
それをされた家族がその死の後に、どれほど苦しめられることになるか。ジョセフはそれが察せられないほど、鈍くはなかったからだ。
死ぬなら後腐れのない「事故」が良い。
それも二度と蘇ることが出来ないほど、徹底的に肉体を破壊した死が望ましい。
だからジョセフは業界で評判だったスタンド使いの殺し屋に、自らを「事故」に見せかけて殺す依頼をした。
殺しの場所と時間は自ら指定した。
以前調査で訪れたときにたまたま見つけた、最高に美しい夕日が見える場所―――そこで、ひっそりと死んでいきたい。
そう思った。

本当なら、今日の日が沈むと同時にそこに殺し屋の操るトラックが突っ込んできて、自分はつぶれてぐしゃぐしゃになって死ぬ予定だった。
勿論邪魔が入らなければ…の話だったが。
生前交流を深めた人たちへの別れは、決してあからさまな別れこそ口にはしなかったが、すでに済ませたつもりだった。
ただ一人、誰より優秀で頭脳明晰な自慢の孫、承太郎以外は。
彼への別れだけは、死の直前と決めていた。この計画を、決して邪魔されるわけにはいかなかったから。
けれど自分は確かに、ツメが甘かったのだろう。
そのせいで孫は自分の目的を悟り、先回りをし、もっとも効果的なやり方で、その計画を白紙に戻してしまった。
もはやジョセフには、同じ方法は選べない。次に同じことをすれば、殺し屋とはいえ、また誰かが犠牲になるとわかっているからだ。
承太郎はそれがわかっていて、ジョセフの意思をくじくに一番効果的な方法を選択したのだろう。
彼は正義感が強く、情深いが、同時に身内が絡んだときには、容赦がないから。
ジョセフは絶望とともに言葉を吐き出した。

「…承太郎…わしは、いつ完全に吸血鬼化してしまうかわからない」
「…知ってる」
「そうしたら、おまえや周囲のものを殺すかもしれない―――わしの愛するものたちを自らの手で。そんなのは耐えられない」
「…わかってるさ」

承太郎は襟元をつかんでいた手を放し、そっと両手でジョセフのほおを包んだ。
自分が泣いていると気づいたのは、間近に寄せられた瞳が、滲んだのに気付いたためだった。
孫に対してこんなみっともない姿を見せるなんて、普段ならジョセフのプライドが許さないところだったが。
今日ばかりは止めようがなかった。
そんなジョセフに、承太郎が言う。

「安心しろ、じじい…てめえが完全に吸血鬼化したら、俺が殺してやる」
「っっ!!!」
「ディオのように完全に殺してやるよ…だからてめえは余計な心配なんかせず、今までのようにのほほんと生きてりゃ良いんだ」

承太郎の声はなんら動揺や気負いもなく、その声音は承太郎がそれを成し遂げることを一切疑わせないものだったが。
それこそがジョセフが一番、避けたかった事態だった。
承太郎は確かにしっかりしているし、大事のために情を切り捨てるような非情さも、持ち合わせてはいる。
けれどそれは彼が傷つかないことと、同義ではないのだ。
彼が口では何と言おうと、自分を大切にしてくれているのを知っている。
深く愛されていることも。
その彼に「祖父殺し」を選択させることなど出来ない。
でも承太郎は、ジョセフが自ら命を絶つことを許してくれない。
ではどうすれば?
ジョセフは目の前が真っ暗になるのを感じながら、懇願するようにいった。

   

**********

   

「わしは、おまえにそんな重荷を背負わせたくはない―――『身内』殺しなど」
「そんなのは余計な感傷だぜ。俺はその程度のことでつぶれたりはしない―――でもてめえがそんなに気にするなら、言ってやる。俺は物心ついたときから、てめえのことを『祖父』だなんて思ったことはねえ。だから気にしなくても良い」
「え?…っっ!!??」

途端に少し離れた場所にあったはずの承太郎の顔が、驚くほど近くなって、ジョセフは硬直した。
目の端に映るのは、承太郎の長い睫だけで。
祖父と孫の間ではありえない、「口づけ」をされたのだ―――とわかったのは、その顔が離れた後だった。
驚きのあまり、目を見開いて立ち尽くしたジョセフに承太郎はくすりと笑い、その舌でジョセフの涙を舐めとった。

「な、何をするんじゃっっ!!」
「何って、惚れた相手が目の前で泣いていれば、男ならとりあえず抱きしめてキスするだろ。当然の行動をしたまでだ」
「と、当然って…ほ、惚れっ!!??」
「鈍いフリをするのはかまわないがな、じじい…てめえなら疾うに気づいてただろう、俺の気持ちに。違うか?だからこそ、俺の行動に殊更に警戒した。邪魔されることがわかってたからだ」
「………」

ジョセフは唇をかんだ。
それは一面では真実であり、もう一面では真実ではなかった。
ジョセフは承太郎の気持ちをなんとなくだが察していた―――けれど、自分の考えすぎだと思い込もうとしていた。
大事な孫である承太郎が何か直接的なアプローチに出てきたら、自分はそれを拒めるかわからない。
増してや彼を傷つけるなど。
だから敢えて考えまいとしていたのだ。
けれどそれを、こんなときにはっきりと言葉にして告げられるとは思わなかった。
自分はどうすれば良いのだろう?
これからの身の振り方もそうだが、どう承太郎に向き合えば良いのだろう?
自らの在り様や先行きに、これほど困惑したことは、ジョセフには今までなかった。
そんなジョセフに承太郎は以前一緒に旅をしていたときのような、不敵な笑みを浮かべて言った。

「なあ、じじい…てめえがそんなに俺に負い目を感じるっていうんなら、交換条件を出してやる―――てめえが吸血鬼化してわけわかんなくなったら、俺がてめえを確実に殺してやる。だからそれまでの時間は俺によこせ。俺が有効利用してやる」
「有効利用って…」
「俺のものになれ」

その意味を理解した途端、ジョセフは顔をゆがめた。
ここで承太郎の手を取れば、将来的に彼には、一生ものの重荷を背負わすことになりかねない。それと釣り合うほどの価値が、老いさらばえた自分やその身体にあるとは到底思えなかった。
けれど承太郎は、自慢の最愛の孫は、それらのリスクを全てわかっていて、それでも尚、自分が生きることを望んでいるのだ。
どうすれば拒めるというのか。
こんなに愛しくて、大切な存在の望みを。
ジョセフは絶望と、悲しみと―――本人も否定しきれない少しの喜びに顔をゆがめながら、言った。

「…おまえには…幸せになって欲しいんじゃ」
「余計な心配だぜ、じじい…俺はてめえが手に入るんなら、誰より幸せになる―――てめえは『先読み』が得意だったな。なら、俺の次の台詞を当ててみな」
「…っ、…おまえ…は…次…に」

その言葉が全て頭に浮かんだ途端、ジョセフは涙を流した。
もう承太郎を逃がしてはやれない。
この孫の残りの人生を、どんな形であれ、自分はきっと台無しにしてしまうのだろう。
でもそれは、どこか甘美な傷みだった。
その証拠に、いいかけた言葉を、自分は止めることが出来なかった。

「『ずっとてめえが好きだった―――もう、一生放さねえ、じじい』という」
「ずっとてめえが好きだった―――もう、一生放さねえ、じじい」

承太郎はにっと笑うと、ジョセフが先読みした台詞と寸分たがわない言葉をよどみなく述べ、ジョセフを抱きしめて、その唇にキスをした。


実は初めて書いたジョジョ作品だったりします。
ピクシブ掲載時の題名は「まごじじの萌えシチュを連想したらこうなった」だった(笑)
まあ題名通り、その時点の萌えを前回にした作品でしたが(笑)

H27.5.22(ピクシブより移動)

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