だからその手を握って



出会いや別れなんて、今まで気の遠くなるほどに繰り返した。
だから別れの痛みなんか、もう疾うに麻痺してしまって、ただ”生理現象”として、瞳から雫が零れ落ちるだけだ。
けれどそんな自分にもたった一人だけ、どうしても忘れられない男がいる。
否、「忘れられない」というのは半分は嘘だ。だってそれはもう昔のことすぎて、名前どころか、顔も声も―――彼がどんな男だったのかすらも―――今のジョセフは覚えていないのだ。
覚えているのは、たった一つだけ。
彼のくれた言葉だけだ。
優しく残酷な…絶対に果たされることのない”約束”だけ。

『…泣くなよ、俺は絶対おまえのもとに戻ってくる。例え姿かたちが変わったって、記憶がなくったって。生まれ変わって絶対にお前の元に戻ってやる』

そんな言葉を、約束を、信じていたわけじゃないけれど。
それでも心のどこかで期待するのをやめられなかった。
もう一度、彼に会えることを。
けれど”期待”ってのはやっぱり、裏切られるためにあって。
待って、待って、待ち続けても、やっぱり”彼”は現れなくて、”約束”も果たされなくて。

ああ、やっぱりこの先も―――自分は気の遠くなるほど長い間、ただ出会いと別れを無為に繰り返し、生きていかなきゃならないのだ、と。

そう思い知らされただけだった。






「…じゃあジョセフ、僕は出かけてくるから、後をよろしくね」
「ああ、例の会社の面接?あそこに決めるの?」
「さあね。僕はそのつもりでいるけど、果たして向こうが雇ってくれるかどうか」
「ふうん、頑張ってね」

背広姿で出ていく兄を、ソファの上でひらひらと手を振って見送ったジョセフは、その姿が完全にドアの向こうに消えると、ソファに突っ伏してため息をついた。
ここに住まいを移して、すでに一ヶ月ほど経っている。
そろそろ自分もジョナサンのように、新たな生活スタイルを選択し、先に進まなければならないのだが、どうにもやる気が起こらない。
ただ、早朝の通勤ラッシュなどに出かけ、電車に乗り合わせた人の生気をひそかに吸うだけの食事では、やはり限界がある。
新しい”食事”となる”同居人”をみつけなければならないのだが。

「…次は、女の子が良いかなあ?」

ジョセフはため息をついてそんなことを漏らす。
先の同居人である承太郎と過ごした時間はそれほど長くはなかったが、それでも彼の与えてくれるさりげない優しさや温もりは、人外であるジョセフにとっても心地の良いものだった。
それが永遠に甘受出来るものではないことなど、初めからわかってはいたが。
それでも次に選んだのが彼と同じ”男”なら、どうしたって比べてしまうだろう。
ジョセフにとっても、それはあまり嬉しくないことだった。

そんなことを考えていたら、インターフォンがなった。
セールスだろうか?と無視していると、その後、慌ただしく数度、扉を叩かれる。

「はいはい、っと?」

もしかしたらジョナサンだろうか?何か忘れ物でもしたのか?
そんなことを考えたジョセフはやれやれと立ち上がり、考え無しに入口の扉を開いた。
そして次の瞬間、扉をこじ開けるように押し入ってきた黒い影に、頭が真っ白になった。


「ん、ん、んんっ!じょうたっっ!!んむっっ!!!」


考える間すら与えられずに、ドアに押し付けられて激しく唇をむさぼられ、ジョセフはただそれを受け止めるしか出来なかった。
こんな行為が初めてのわけではないが、相手はジョセフの都合など考える気もないのか、それともそれほど余裕がないのか。
ジョセフが正気に戻る前にその身体を抱き上げて、リビングのソファにつれていき、そこに投げ出した。
そしてそのまま、キスをしながら上にのしかかり、ジョセフのシャツを剥いでくる。
「ちょっ、じょっ、待っっ!んんっっ!!」
「待てない」

「ちょ、ちょっと待っ、ストっ、ストッ―――プ!!」
「ちっ!」

服を剥かれかけながら、相手の顔をなんとか手で押さえつけて叫んだジョセフに、ようやくその不法侵入者―――承太郎が舌打ちをして動きを止める。
しかしジョセフがあらためて彼を見上げると、彼は少しでも離れたくないというように、再びジョセフの唇にキスを落してきた。
「ん、もうっ」
ひと月ぶりの温もりに、思わずうっとりしてしまいそうになるのを振りはらって、ジョセフは問いかけた。

「っ、なんでここが?それに…」
「なんでここがわかったかって?―――そりゃ、いくらてめえらが上手く行方をくらませたって、財団の力を借りれば居所を調べるくらい、造作もないぜ」
「っ!」

そういえば承太郎は、莫大な財力と巨大な情報網を持つSPW財団から、仕事を受けていたのだった。
なるほど、そのツテを利用すれば、確かにジョセフたちの居所を突きとめるのは、それほど難しいことではないだろう。
人外の生き物とはいっても食事の問題で、ジョセフたちは結局、人の世界から離れては生きていけないのだから。
だがそれ以上に。

「…なんで追ってきたんだよ…承太郎ならわかってくれるって、そう思ったのに」
「わからねえよ。それに俺は認めたつもりもねえぜ?―――てめえが俺から離れることを」
「…でも俺は承太郎とは、んんっっ!」

違う種類の生き物だから。
違う寿命の生き物だから。
ジョセフの言わんとすることなど、敏い承太郎なら、疾うにわかっているだろうに。
けれど彼はそれ以上言わせないというように、ジョセフをソファに押さえつけ、その唇を自らのもので塞いでくる。
そして、わずかに放した唇の隙間から、甘く残酷な言葉をささやいてくるのだ。


「てめえが人間だろうが、そうでなかろうが関係ねえ―――だが俺は、てめえとずっと一緒にいると決めた。だからいなくなるなんて許さねえ」


承太郎のその言葉は嬉しかったが、しかし同時にジョセフには非情な言葉でもあった。
何故なら自分たちは違いすぎるのだ。
その生き方も、年の取り方も。

「…でも承太郎…俺は承太郎が思っているより、ずっとずっと長く生きるんだよ?多分、承太郎が生きてる間もほとんど外見は変わらない。承太郎が年をとってよぼよぼになって死んじゃってからのほうが、一緒にいる時間よりも遥かに長いんだ―――人間と俺たちとじゃあ、それくらい寿命が違うんだよ」
「俺が死ぬまで、ずっと一緒にいるのは嫌か?俺が年を食ってしわしわのよぼよぼになったら、嫌いになるのか?」
「…そういう意味じゃなくて」

ジョセフはどう承太郎を説得すれば良いのかと、途方にくれる。
承太郎のことは勿論、嫌いじゃない。
人間と違い、生殖行動にそれほど意味を持たないからといっても、承太郎じゃなければこんな風に好き放題に触れさせたりはしない。
けれどこのまま承太郎の望みをかなえるのは、ジョセフにとってはあまりにリスクの高いことだった。



別れなど疾うに慣れたつもりだった。でも本当はいつだって、慣れたフリをしていただけだ。
いつだって、情をかけた相手との別れは、身を裂かれるほどに辛かった。
ひと月前に承太郎との別れを思いきるのだって、本当は随分と覚悟がいったのだ。
なのに、その承太郎とこれから先もずっと一緒にいたりしたら―――その彼を失ったとき、はたして自分はどうなってしまうのだろうか?
その想像はあまりに恐ろしかった。
何故ならジョセフは、例え承太郎を失ったとしても、その先気が狂いそうなほど長い時間を、生きていかなければならないのだから。
だからジョセフはそれを正直に口にした。

「承太郎…俺は別れには慣れてるけど、でも何も感じないわけじゃない。長く一緒にいればその分だけ別れが辛くなる―――身勝手かもしれないけど俺は…そんなのは耐えられない」
「…本当に身勝手だな、てめえは」
承太郎が呆れたようにため息をつく。けれどその口調はどこか柔らかかった。
それはジョセフがこれほど共にいることを恐れるのは、今現在承太郎をとても大切に思っているからだと、気づいているからだろう。
「それに腰抜けの臆病者だ―――先に来る別れを恐れて、一緒にいられる時間さえも拒絶するのか?」
「…そうだよ。臆病者、卑怯者と罵ってくれたって良い。これ以上、承太郎と一緒にいて―――もっともっと大切になって―――なのに二度とおまえに会えないってなったら、俺はきっとその先、生きていけないよ」


「それこそ俺にとっては望むところだがな…だが、おまえがそれほどに”別れ”を恐れるなら、誓ってやる―――例え離れても、俺は絶対におまえのもとに戻る。死んでも生まれ変わって、絶対お前の元に戻ってやる」


それは夢物語のような誓いだった。
人が転生するか否かなんて、人外の生き物で、気の遠くなるほどに生きているジョセフにも、本当か嘘かなんて、わかっていないのだ。
それでも承太郎の誠実さ、真っ直ぐさは知っている―――だからその誓いが口先だけのものではないことはわかっていた。
けれどジョセフはその台詞に、複雑なものを感じずにはいられなかった。
それはかつて”あの男”のくれた言葉と良く似ていたから。

(…でも結局”アイツ”だって、戻って来やしなかったじゃないか)

むき出しになった肌に、唇を落とし始めた承太郎の背に反射的に手をまわしながら、ジョセフは心の中でつぶやく。
その指が肩のある部分に触れて、ジョセフはふと手を止める。
そこにあるのが何かはわかっていた―――承太郎が生まれつき持つという、星形の痣だ。
そこの部分は、少しだけ他の皮膚より固く、そのため見えなくても感触でわかるのだ。
承太郎と何度も身体を重ねるうちに、ジョセフは知らず知らず、そこを指の腹で撫でる癖がついていた。

『…おまえは本当に、ここを撫でるのが好きだな』

突然、そんな声が脳裏に響いて、ジョセフははっとなった。
いかにも承太郎が口にしそうな台詞だった―――けれどそれは、”承太郎の声”ではなかった。
(…誰だ?…今の言葉を俺に言ったのは?)
ジョセフはもはや霞のようになった、古い、古い記憶をなんとか引っぱり出そうとする。
しかし余りに昔なために、それを言ったのが誰か、どんな相手だったかも、どうしても思い出せなかった。

「…どうした?」

承太郎の声に現実に引き戻されて、ジョセフは目の前にふてくされたような承太郎の顔があることに気づく。
彼はジョセフの意識が承太郎から反れたことに、気がついていたようだ。
相変わらず、敏すぎるほどに敏いと思う。

「別に…ただ、やっぱり星形の痣なんて、珍しいなと思って」
「ああ、何でか生まれつきあるんだ」
そういうと、承太郎はくすりと笑った。


「そういえばおまえはなんでか、これを撫でるのが『昔っから』好きだよな」


「…え?」
ジョセフはその言葉に引っ掛かりを覚え、顔をあげた。
承太郎とは二年半ほどしか出会ってから共にいない。
でもそれは、「昔」という括りで語るほど、長い時間ではないはずだ。

「承太郎…今、なんて?」
「あ?俺、何かいったか?」
「…うん、今…」

言葉を続けようとして、ジョセフは不意に思い出す。
”あの台詞”と共に、覗き込んできた”あの男”の瞳―――それは承太郎と同じく、地中海のような深い”蒼色”をしていなかっただろうか?
まさか…とは思った。
しかし否定する材料は、ジョセフにはなかった。

「…じじい?どうした?」

そういって気遣うように覗き込んできた表情が、面影が、初めて”誰か”と重なった。
自分に”永遠”をくれると誓った男。
もはや顔や名前すら思い出せないというのに、彼のした”約束”だけは、ずっと忘れることが出来なかった。
叶えられるはずなどないとわかってはいても、それでも打ち消すことが出来なかった。
けれど。


「じじい?」


ジョセフは自分がいつの間にか、涙を流していたことに気づいた。
気遣うように覗き込んできた承太郎に、その”同じ色”に、思わず口もとが緩む。
(…そっかあ)
ジョセフは、自分の鈍感さに嫌気がさした。
けれど、心はどうしようもなく”歓喜”と、それ以上の温かな”何か”に包まれていた。

(そっかあ―――俺が気づいていなかっただけで)

”彼”はちゃんと約束を果たしてくれていたのだ。
言葉通り、記憶も何もなくても、彼はいつの間にか自分の側に、戻ってきてくれていた。
それだけじゃなく、ジョセフがそのことに気づかず、その手を自ら振り払ってさえ、尚も。
追いかけてきてくれたのだ。

「…じょう…承…太郎」
「なんだ?」

ジョセフが呼ぶと、ジョセフの様子に何かを感じたのか、承太郎が柔らかな瞳で覗き込んでくる。
ジョセフは知らず、その深い色に見惚れながら言った。

「…本当に、また俺の元に戻ってくれる?―――死んでも生まれ変わって、何度でも俺に会いに来てくれる?」
「ああ―――俺は嘘はつかねえ。記憶なんかなくても絶対に探し出して、お前の元に戻ってくる…何度でもな」
「…なら俺も誓う。俺はきっと承太郎が死んだ後も、いろんな人と出会って別れると思う―――でも…俺の全ては承太郎のものだから。例え誰といても、顔や名前すら思い出せなくなっても、ずっと承太郎が戻ってくるのを待ってるから。だから…」


「ジョセフ」


承太郎がジョセフをきつく抱きしめ、その唇に自らのものを寄せる。
「愛してる」という言葉は、どちらの口から出たかわからぬうちに、口づけに溶けて消えた。





                                             つづく

H2016.3.21(ピクシブより転載)

inserted by FC2 system