先ほどまでは、小さな悲鳴のようなものが漏れ聞こえていた部屋に、今は静寂と、硬質な靴音だけがゆっくりと響き渡っている。
しかしその音は、部屋のある一箇所まで来てぴたりと動きを止めた。
その爪先わずか数センチのところには、金の波が幾重にも弧を描くように広がり、床の一面を埋め尽くしている。
その中に埋もれるようにして、一人の女が倒れていた。

美しい女だった。
気を失っているのか、瞳は閉じられたままその色すらもうかがわせないが、容貌は整いきっており、ひと目で並みの美貌でないことがわかる。
薄紅の敗れた布のようなものをところどころに巻きつけている以外、何故かほとんど衣装もまとわぬあられもない姿をさらしていたが、その肌は抜けるように白く、しなやかな肢体は真珠のような光沢を帯びている。
そしてそれらを引き立てるかのように、周囲を取り囲んでいるつややかな黄金は、彼女の長い髪だ。
高価な宝石を思わせるその存在を見下ろして、漆黒を身にまとう男は満足げに笑った。

  

「ベリアルさま!マーディさまは―――ひいいいっっ!!!???」

  

そんなとき、唐突に空間を割って飛び出してきたのは、河童のような・・爬虫類のような緑色の肌をした小男だった。
彼は『ベリアル』と呼んだ男に目をやった後、彼の足元に倒れ伏した存在を見て、顔を蒼白にした。
といってももともと緑なので、一見あまり変わって見えなかったが。

「わ、わざとじゃありませ・・・ぐぎゃっっ!!!」

小男は咄嗟に手で目を覆おうとしたが、それは少しばかり遅かったようだ。何故なら小男の眼球は次の瞬間に、男の振り下ろした靴底によって、情け容赦なく踏み潰されていたからだ。
紫の血を流す目を両手で押さえながら、小男は見苦しい悲鳴をあげて床の上で痛みにのたうちまわった。
おそらく眼球がつぶれたのだろう。
しかし原因を作った男はすでにそんなことには興味もないのか、何事もなかったように自らのまとっていた漆黒のマントを脱ぎ、それで床に倒れた女を包みこんで抱き上げた。
それはとても優美で・・・それでいてどこか優しさを感じさせる仕草だったが、背後に倒れ伏した小男は、すでに死にかけているのかひくひくと震えるだけになっていた。
けれど男はそれに一瞥すらせずに、腕の中の存在を抱いたまま部屋を出た。
後に残ったのは、氷のような冷たい響きの声だけだった。

   

「―――『これ』の美しい身体は、貴様ごときが目にして良いものではない」  

  

  

  

2.

   

  

  

「グリム大変だっ!マンディが!―――マンディじゃないけど、マンディが!!さわられたんだあああっ!!!」

   

  

唐突に部屋に飛び込んでいきなりそう叫んだビリーに、グリムは一瞬、呆気に取られた。
しかしビリーがハチャメチャなのはいつものことなので、とりあえずビリーの興奮を宥めて事態を把握しようと、グリムはわざと呆れた声を出した。
「・・・何を言ってるんだビリー、支離滅裂だぞ?―――まあいつものことだがな・・・で、マンディが・・・ん、マンディじゃないのか?まあどっちでも良いが・・・ともかく、誰が誰に触られたって?」
「違うよグリム!マンディじゃないみたいな、マンディが、変なヤツに連れていかれたんだって!!」

「・・・マンディが?」

「マンディじゃないみたいな、マンディ」というビリーの台詞は良くわからなかったが、とりあえずマンディに何かがあったことは確からしい。
グリムはすぐさま立ち上がり、マンディの家を訪ねようかと鎌を手に取ったが、ビリーの視線を感じて足を止める。そういえば自分は、1時間ほど前に、マンディと派手な喧嘩をしたばかりだったのだ。
ついでにそのときのマンディの台詞も思い出してしまって、収まった怒りがふつふつと湧き上がってくる。
だから自然と口からは、こんな言葉が漏れてしまった。

  

「・・・ふ、ふん・・・あの娘のことだ。何が起きても、自分で何とかするだろう!」  

  

グリムはそれが、自分を「必要ない」と言ったマンディに対する、あてつけから出た言葉だということがわかっていた。しかしそんなものは、当人が聞いてなければ何の意味も無いものだ。
だからグリムは内心、その言葉を不用意に口にしたことを悔いていたが、それでも一度出してしまった言葉は、取り消しが効かない。
その間にも確実に時間は過ぎていくわけで・・・グリムは無意味な意地を張りつつも、内心焦っていた。

何故ならここはビリーの家だが、マンディの家はすぐご近所であるため、もし何らかの異常事態が起ったのだとすると、死神であるグリムにわからないはずはない。
なのにグリムは何も感じなかった。
ということは・・。

(・・・私と同等以上の力を持つものの仕業か・・・まさか、な)

死神であるグリムに対抗できるほどの力を持つ存在は、稀にしか居ないが、この世に存在しないわけではない。
もし本当にマンディがそんな人物に連れ去られたのだとしたら。

  

(―――マンディを連れ戻すのは容易なことではないかもしれない)

  

その考えは、グリムの焦りに拍車をかけていたが、それでも先ほどの言葉をなかったことにするには、グリムは不器用で律儀すぎた。
それに、マンディが自分にいい放った言葉への反発も、未だくすぶっていた。
それが子供じみた拘りだということは、グリムにもわかっていたが。  

もっともグリムはもうひとつのことには、気づいていなかった。
『顔も見たくない』
『地獄に帰ればいい』
先ほど云われたこの台詞に、グリムがそれほど引っかかっているのは、何もその内容が、自分の存在価値を否定するようなものだからではない。

それは言ったのが他の誰でもない、マンディであったからだ―――彼がいつの間にか憎からず思うようになっていた、傲岸不遜名少女。
だからグリムはその台詞を、ただただ喧嘩の勢いで発せられたものだとは、聞き流すことが出来なかったのだ。
もっとも当人は、気づいていなかったが。

  

ともあれ、意外に大人気なく不器用なグリムは、自らで自らの行動を雁字搦めにしてしまい、どうしようもなくなってしまった。
だから切っ掛けとなりそうなビリーの「マンディを助けて!」のひと言を待っていたのだが、やはりというかビリーは、そういった相手の心の機微がわかるような子供ではなかった。
マンディを助ける気はないらしいグリムを前に、「どうしよう?どうしよう?」といったおろおろした目で、グリムを見上げてくるばかりだ。
それに苛立ったグリムは、思わず鎌を逆手で振り上げた。

  

ゴン!

  

ごつい音が響き、ビリーの頭に鎌がのめり込み、でかいたんこぶを作った。しかしお馬鹿なビリーは「痛いなあ・・・何すんだよ、グリム」とつぶやいただけだった。
けれど生理現象で目じりに浮かんだ涙を、グリムは見逃さなかった。
すかさず彼は口を開く。  

「そうかビリー!―――おまえがそれほど泣くなら、マンディは助けてやろう!あくまでおまえのためだ!マンディのためではないぞお!!」  

「・・・へ・・・?あ、うん・・?」
唐突に言葉をまくし立てられ、ビリーはわけがわからないながらも、グリムの勢いに釣られてうなづいたらしかった。
もっとも彼にしてみればグリムの変化は不思議だったが、大事な幼馴染を助けてくれる気になったなら、その理由はどうでも良いのだろう。
それに満足してグリムは力強く断言した。

「ふむ!それならばすぐにでも行くか―――おまえのためにマンディを連れ戻してやらなければな!」

そんなことを余裕のある程で言い放ちつつも、内心焦りがピークとなっていたグリムは、速攻で部屋を出て、マンディのも元にむかった。
おかげでビリーは、それを慌てて追いかけなければならなかった。 

  

   

                             つづく


   長くなったので区切りの関係でここでストップ。

   あれれ〜?マンディが浚われた場所にグリムがおっつくまでは、書く予定だったのに(汗)

   この調子では、やはり5話ぐらい行きそうな・・(大汗)

   もうちょっと計画的に行こうよ(←ムリ)  

   H21.5.16

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